---このホームページは、2002年3月をもって、KAWAMATA公認となりました。---

第1章

とかち国際現代アート展『デメーテル』
http://www.demeter.jp/j/index.html
(2002年7月13日〜9月23日)
に出品のため、
2001年12月12日、
川俣正、
http://www5a.biglobe.ne.jp/~onthetab/
札幌でシンポジウムを開催する。


左から2番目の人。



1992年、
ドイツでプロジェクト中(たぶんカッセル?)の
KAWAMATAに国際TEL.して、
帰国後、岩見沢に来てもらったことがあります。

丁度、山七倉庫の解体が計画されていたときで、
そこに
KAWAMATAが参画できないか、
という思惑でした。

どちらかというと彼は、レールセンターや、
生まれ故郷の三笠住友奔別の炭住跡や、
万字、夕張と続く空知の炭坑の鉱脈に沿った何か、
に触発されていたようでした。

クリック


結果的になにも残すことなく、
岩東時代のの同期会をやって帰っていきました。

クリック




そして、
ほぼ10年ぶり、
今回も有志がシンポジウムに出席し、
引き続きの第2回同期会をやりました。

炭谷幹事で段取り中のeメールのやりとりが、
以下です。

武部です。
おはよう。
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『芸大教授「川俣正」とゲージツを語ろう!』の飲み会を、同期会を兼ねて行います。

●12/12 札幌
『デメーテル・シンポジウム』の終了後。

●会場すぐ裏の狸小路内「七福神商店」札幌市中央区南3条西5丁目 011-219-2501
積丹直送の北海の幸を炭火で、川俣に食べていただこう、ということです。

●9:15pm 炭谷名で申し込んでます。

●会費 ¥5600(飲み放題)の最上のセットですので、みなさん、晩ご飯は程々にして、参加ください。

●なお、人数の集約を12/10までに行いたいと思ってますので、みなさん、お誘い合わせの上、ふるって申し込みお願いいたします。とりあえず、10人分の席は確保してあります。

●申し込み先幹事
炭谷道孝 TEL.011-522-3171 eメール:sumitani10@hotmail.com

▼さらに、川俣本人には未だコンタクトがとれてませんが、シンポジウムに参加して、終了後そのまま連れて来ようと思ってます。
みなさんも、時間があれば参加してゲージツを語るネタをしいれておきましょう。
▼下記は、このたびのやりとりの中での、"木村秀幸" の芸術論、参考までに・・・

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On 01.12.4 5:09 PM, "木村秀幸" <KimuraH@nichiryo-pan.co.jp> wrote:

> いろいろ忙しいんじゃないの。時間取れたら坂本のところで集まるのが簡単か?
> デメーテルって何だ?百姓の女神かもしれないなあ。
> こんな事ばっかりやってたら俺なら気が変になっちゃうけど、ならないところが職業なんだろうなあ。
> ゲージツってのは心の有り様の事なんだろうけど、まあ自分勝手にやってる分には構 わないが、 貴殿にもちょっとあるがオノヨーコとかこんな環境で心の均衡を保って行く事って可 能なのだろうか?
> 保ってないかもしれないな。それでも何とか己の心のコアの部分に向かって這いずっ て行くプロセスがゲージツなんだろうな。
> あいつの作品見てたらこっぱずかしくて俺ならとても世界中に見せ回るほどあつかま しくはなれないなあ。> ソバなら別だけど。
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>> ■12/12 札幌
>> 『デメーテル・シンポジウム』
>>
>> 入場無料
>>
>> 日時/ 2001年12月12日 水曜日 18:45開場 19:00開演 (20:30終了予定)
>>
>> 場所/ イベントスペースEDIT
>>      (最寄駅 地下鉄大通り駅、東急ハンズ札幌店 裏)
>>      札幌市中央区南2条西6丁目 南2西6ビル 
>>      TEL 011-223-4896
>>     
>> パネラー/ アーティスト川俣正、札幌大学学長 山口昌男、
>>       実行委員会会長 岩野洋一、他
>>
>> 司会/ デメーテル総合ディレクター芹沢高志
>>
>> ■川俣正 KAWAMATA Tadashi
>> 1953年北海道生まれ、東京在住。
>> 1982年ヴェニス・ビエンナーレに参加、その後各国のア ーティストインレジデンスに滞在し、精力的に現地制作のプロジェクトを行う。87年 にはドクメンタに出品。同年から始まったNYのルーヴェルト島でのプロジェクトに は5年の歳月をかけ、その後も「コールマイン田川」、「妻有トリエンナーレ」、愛知県豊田市な どでの数年に渡る作品制作を展開している。
>> 2002年1月14日まで、水戸芸術館で「川俣正デイリーニュース」を
>> 開催中。著書に 「アートレス」がある。
>>
>> ■ 山口昌男 YAMAGUCHI Masao 
当日欠席
>> 1931年北海道生まれ。東京大学文学部国史学科卒。麻布学園
>> 講師、ナイジェリア・イバタン大学講師、パリ大学、メキシコ大学客員教授、東京外語大アジア・アフリカ言語文化研究所教授、同所長、静岡大学教授、札幌大学文化学部教授、学部長等を歴任。 現在札幌大学学長、東京外国語大学名誉教授。該博な知識を背景に、「中心と周縁」「トリックスター」等の概念を駆使して専門の文化人類学から演劇、映画、文学まで幅広い研究、著作活動を展開している。
>>
>> ■ 岩野洋一 IWANO Yohichi
>> 1933年北海道、鹿追町生まれ。とかち国際現代アート展「デメー テル」実行委員会会長、帯広商工会議所会頭。地域の経済団体のトップとして地域活性化を考え、既存の事業の枠組みを超えて、現代アートをまちづくりのために生かそうと、デメーテル開催の音 頭 を取った。(株)エヌシーおびひろ代表取締役社長、日本商店連盟会長など公職多数。
>>
>>
>> ■芹沢高志 SERIZAWA Takashi
>> 1951年東京生まれ。P3 art and environmentディレクター。
>> 神戸大学数学科、横浜国立大学建築学科を卒業後、(株)リジオナル・プランニング・チーム主任研究員として生態学的地域計画の研究と実践に従事。1987年、東京・四谷の禅寺、東長寺の新伽藍建設計画に参加。1989年、現代アート、環境、メディアに 関わる制作機関、P3を開設し、東長寺境内地下の講堂をベースに活動を開始する。以後、さまざまなアート/環境プロジェクト、出版プロジェクトを国際的に展開している。著書に『この惑星を遊動する』(岩波書店)、『月面からの眺め』(毎日新聞社)がある。
>>
>> ---------------


 

終始うつむき加減で語っているのが印象的。



田中の母さんと久しぶりに再会し談笑。



引き続き、同期会。

 
久しぶりに再会した面々で、飲み会では、ご機嫌でした。
肉体派・美術家らしく、心身共にたくましい。



これが芸大教授、川俣の素顔。


下記は、またまた木村秀・日糧パンの同期会の総括。


んんんんんー。先ほど会議を赤い顔して終えて飯食ったところですが、極めて体調悪し。
川俣先生を始め皆様には本当にご苦労様でした。
でも気付いたら皆居なくなり、小生、愚妻と川俣先生だけになっていたのは何故か?小生宅着はAM4:00を過ぎていましたが、大先生は大丈夫だったですか?
あの店叉使ってやって下さい。
お前だけなんか貰っていただろう。
愚妻は家で転がってます。
岩見沢の皆様無事に到着できましたか?又やりましょう。
炭谷の幹事振り、川俣のと同じくらい立派だった。ご苦労様でした。
先生付けたら馬鹿にしているだろうと言われたのでそんな事はないのだが付けないでおく。
川俣には誤解して欲しくないのだが、ああいう説明会にのこのこ出る事はメンドクサイだろうに、貴殿らしいサービス精神の現われでとっても良い事だと本当に思ってます。質問も出来るし。
出ない方がかっこ付んじゃねーと言ってしまいそうだ。
ケツの穴出した方がまだましと言うくらい恥ずかしい事ってあるよなって聞いたら、有るけど出しちまたらそれで済まそうとするから終わりだと答えてくれたのはとても有り難かった。
貴殿もケツの穴衝動があるのですね。
実は昔小生のケツの穴は皆につつかれてキズだらけの頃が有ったのです。
それとピカソのゲルニカのつまらなさを教えてもらって得した気分です。
ところで皆さん馬はどーするのですかー?買って勝ってモーけてまたやりませんか。

以上

木村秀幸
日糧製パン株式会社 物流部


、賛成!





そして、翌日12月13日、
朝日新聞夕刊にこんな記事が載ってました。


www.arttowermito.or.jp/art/kawamata01j.html
kawamata.artscape.ne.jp/


さらに木村優も早速コラムに書きました。









北海道新聞にも








こんな具合に、彼のやることはいつもメディアに格好のネタを提供することになる。




以下、「デメーテル」本番に続く。



このホームページは、
高校時代を知る
同級生たちが、
プロの評論家たちとは違った視点で、彼の活動をレポートしていきます。



いやあ〜、それにしてもアップまでに時間のかかったこと。
いかに川俣が広く公的な人間であることか、ということだ。
それだけに、気を遣っちゃうわけですよ。

とは、2001年12月暮れ時点での思い。

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