安藤忠雄ツアー

 彼の建築はその出身地、大阪を中心に多く展開している。




今や世界をまたにかける人気建築家。
せっかく日本にいるんだから、
そんな彼の国内の作品を観てみようと出かけてみました。




当然メディアにも頻繁に登場するので、
一般の人にもっとも知られた建築家の一人になってます。
ちょうど小学館発行の『和樂』9月号
(「和」の心を楽しむと副題がついてます。)
でも特集を組んでました。
その中で、
「宮沢りえさんと安藤忠雄建築を逍遙する。」
という彼の建築を8ヶ所巡るコーナーがあったので、
じゃあ、とそのコースを辿ってみることにしたのです。


第3話・9月7日最後




 5.大阪万博跡地公園・太陽の塔


安藤忠雄ツアー最終回。


なぜか、岡本太郎『太陽の塔』で閉めます。


 
 大阪万国博覧会は、たぶん僕だけじゃなく我々の世代には特別の想いがあるのではないだろうか。「エキスポ’70」だから1970年、僕は17才多感な高校2年生だ。高度経済成長真っ只中、テレビで何回も見せつけられた「お祭り広場」の巨大な屋根から突き出た「太陽の塔」は、否応なく脳裏に焼き付けられている。
 あまりにもあのアングルからの映像だけが強烈だったがために、屋根をまとってない「太陽の塔」それだけを見たときのなんともいいようない感慨は、何と言っていいのだろう。
 「こらがあの『太陽の塔』なんだ!」
 とにかくでかい。
 巨大な屋根からといったがテレビでは、あれだけの人を飲み込んでいたにもかかわらず、全く実感していなかった。その屋根の立体トラスの一部が横に残してある。
 広々とした公園に慄然と立つ何もまとってない「太陽の塔」。
 近づくにつれてその大きさのスケール感覚に惑わされながら、ぐるっと遊歩道を1周してきました。よくこれだけのものを作ったと思う。経済大国日本の国を挙げてのプロジェクトだったから、成しえたのではないか。
 またそれに応えた岡本太郎は、やはり天才だったんだろう。
 (他の作品は、ほとんど知らないが。ただ、やはり丹下健三と組んでアートしてた、旧東京都庁舎のホールは良かったと思う。)
 そういう意味で、20世紀日本が生んだ傑作といっていいのではないか。
 




意外やこんなに自然に囲まれている。



塔の下にある説明文。



駐車場から公園入口に向かうところから、見えてくる。



ゲートを入って真正面に見る。まだ、スケール感はつかめない。


 
右から廻ってみる。木々との対比。


  
正面ばかりから見せられてた姿があまりにも強烈で、彫刻的立体感に幻惑される。
そしてそのスケール感。


  
当たり前だが、後ろも右も左もちゃんとあるということ。



思わず近づいて見上げる。


 
急いで遊歩道1周30分、
帰りに振り返るとそこには何ともユーモラスな姿の「太陽の塔」が見えた。




このツアー最終回を閉じるのにふさわしく、
『岡本太郎』の「太陽の塔」でした。

これで「安藤忠雄ツアー」シリーズのレポートを終わります。
ご愛読、ありがとうございました。



4の3.兵庫県立美術館 へ戻る

プロローグ へ戻る


 
建築家・安藤忠雄の似顔絵は、日経アーキテクチャー編の「建築家という生き方」から
抜粋させていただきました。



bunka top